2013年06月09日 [お知らせ] [取材日記]

竹松遺跡の発掘進む!

九州新幹線の建設を前に、竹松遺跡の発掘調査が行われています!
先日、成果報告が行われ、発掘された貴重な資料の説明がありました。

まず、文字が書かれたものが3点

①土器の表面に刻まれた「見」
この上にまだ字があったようなので2字以上と思われますが・・・
人名?地名?不明です。

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②土器に墨で書かれた「有家」

部位・書体などから人名ではないかということです。

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③糸をつむぐ道具に彫られた「木」「都」

紡錘車(ぼうすいしゃ)という、糸をつむぐときに使う石製の道具に彫ってありますが、どうして二文字が逆なの?使い方のイラストを見ればわかるのですが、この部品はぐるぐる回るんですね。だからどっちが上とか下とかなかったんじゃないかと。

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それより、この文字の意味するところが重要なんです!
「木」は彼杵郡の「杵」
「都」は「つ」と読み、「津(みなと)」
杵の津=彼杵郡の港をあらわしているんじゃないですか?!
港があるということは、彼杵郡の役所がここらへんにあったということ?!

彼杵郡の港をあらわす文字資料としては県内で初めて発見されました。
それに当時は識字率も低かったので、文字資料が出てきたということが、役人や偉い人が住んでいたということの現われでは?

といってもまだまだここに役所(郡家)があったと断定されたわけではありません。
もっと具体的に場所を書かれた文字資料とか、役所の建物の跡とかがでてきたらはっきりするんでしょうけど。って職員は話されていました。

そしてもうひとつ紹介された遺物
④中世・宋の時代の「湖州六花鏡」

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中国で作られたものがここから出てきたということは、当時中国や周辺地域と交流があったということか。実はこれとほぼ同じものが、鷹島海底遺跡で発見されているんですって。

ほう~やっぱり竹松遺跡は古代から中世にかけてこの一帯の中心で、豪族たちも住んでいた場所なんじゃ・・・すごい!

未発掘の場所もまだまだあるので、これからどんどん貴重な資料がでてくるかも!

そして6月23・24・25日には、これらの資料も含め、発掘された遺物などが、一般に公開されるんですよ。
もっと詳しく、実際に見ながら解説が聞ける!かも?
子ども達もウェルカム♪

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私たちが住んでいるこの場所で何百年も前に暮らしていた人たちが使っていたものを見ることができるなんて、ロマン感じますよね~

この器をつかってどんなものを食べていたんだろう?
これで紡いだ糸でどんな服をつくっていたんだろう?
そんな想像をしながら、ぜひ竹松遺跡に立ってみてください。
夏休みに発掘体験とか土器修復体験とかないかなぁ~。
やってみたい(><) 

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  • 投稿者:はっしー
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